「文化としての音楽〜西洋音楽文化史「超」入門編〜」
第1回 「西洋史と音楽史の大まかな地図を作る」内容要約

 こんにちは。今日は西洋音楽史の大まかな流れについてお話するのですが、音楽史というと難しいものというイメージが強いかもしれません。いかがですか?
 さて、どうしてこんなレクチャーをしようと思ったかということからはじめましょう。日本人が西洋音楽、特にいわゆるクラシック音楽をするというのは、例えばヨーロッパやアメリカの人が能や歌舞伎をするのと同じ立場なわけです。日本人と同じになる必要はありませんが、日本語や日本の文化、習慣などいろいろ学ぶ必要があるわけです。歴史についても、菅原道真とか牛若丸とか言われて何のイメージもなければ、困るわけです。西洋音楽の教室をしている以上、西洋音楽文化の基礎知識のようなものをまとめる機会をつくらなければと思っていました。また、自分自身の問題として日本人の私が西洋音楽をすることの意味を、この機会に改めて考え直すことができればとも思いました。
 では、さっそくヨーロッパの歴史について、空間と時間の地図をつくってみましょう。
(ホワイトボードにヨーロッパ地図を書いて国名等を確認)


ヨーロッパの地図と衛星写真

 次は、時間の地図をつくります。500年前とか2000年前とかいっても実感がわきませんので、まず100年がどのくらいの長さか、感じてみましょう。(ホワイトボードに時間軸を書きながら)今年は2006年ですね。今年生まれた赤ちゃんがいるとして、その親が30歳だったとしますと、お父さんお母さんの生まれた年は1976年ということになります。昭和で言うと51年ですが、この頃の出来事で何か覚えていらっしゃいますか?(ロッキード事件の年。石油ショックや万博の年も確認。)では、次のそのまた親、赤ん坊のおじいさん、おばあさんの生まれた年ですが、これも30歳としますと、1946年になりますね。(敗戦の翌年。その後、憲法、朝鮮戦争、独立など)そのまた親、ひいおじいさん、ひいおばあさんとなりますと1916年です。(第1次世界大戦の頃) そのまた親で1886年(帝国憲法の頃)ですから、ひいおじいさん、ひいおばあさんの親が20歳の青年だったのが、1906年(日露戦争の頃)、つまり100年前となります。100年というのがどのくらいの長さか、イメージがつかめましたでしょうか?
 では、この100年を遠目でながめて30センチ定規くらいの長さと思って、これを5回重ねると500年前、1500年になりますね(戦国時代。100年ごとに主な出来事を確認)この作業をもう一度繰り返して、500年をものさしにして5回重ねると2500年前、すなわち紀元前500年にたどりつきます。
(500年ごとに主な出来事を確認)
 この紀元前500年頃というのは重要な時代で、孔子やお釈迦様など後世に大きな影響を及ぼした人びとが活躍した時代なのですが、ヨーロッパ音楽の始祖ともいえるピタゴラスもこの時代の人なのです。ピタゴラスといえば、ピタゴラスの定理(三平方の定理)が有名で数学の祖のような人ですが、音楽理論の祖でもあります。(数学と音楽を重視したピタゴラス教団の説明)
 さて、ピタゴラスはギリシアの人ですが、それから500年ほどたった紀元1年(キリスト生誕の年とされた年ですね)になりますと地中海一帯はローマ帝国によって統一されることになります。ローマ人は、学問芸術ではギリシア人の弟子でしたが、実際的なことには秀でていて、ローマ道をつくったり、上下水道をひいたり、レジャーランドを作ったり、法律を整備したりして、均質的な文明生活でヨーロッパ、中近東、北アフリカを含む広い世界を統一したわけです。



 このローマ帝国が現在のヨーロッパの母体とも言えるのですが、後の音楽史の主要となるイタリア、フランス、ドイツの当時の状況をここで見ておきましょう。まずイタリアはローマ帝国発祥の地ですから、ギリシア人が書いたラテン人(ローマの原住民をラテン人と言いました)についての評を読んでみましょう。(アリスティデスの「ローマ頌詩」より朗読。要旨は「ローマは出自にかかわらず優秀なものをローマの仲間としてローマ市民として扱った」というもの)ローマに仕えるギリシア人という立場で語っていますから、手放しの礼賛になっていますが、こういう要素がローマにあったということは言えると思います。次に、今のフランス人の祖先(カエサルの「ガリア戦記」より朗読。「宗教にうちこんでいる」)。ドイツ人の祖先(タキトゥスの「ゲルマニア」より。「頑強な身体を持つが暑さに弱い。労働をきらい、略奪を好む」)。こちらは彼らを征服したり、敵対したローマ人による記述ですからちょっと不公平ですが、おもしろいですね。
 次にガリア(フランス)人やゲルマン人とラテン人の関係ですが、ラテン人のタキトゥスはこう書いています(「ラテン人はローマの文明を未開の地にもたらし、最初は抵抗した原住民もこれを文明開化としてよろこんだ。それが奴隷化の別名であることを知らなかったのである」)。タキトゥスは自らの政治的立場もあってこう書いているのですが、ローマの植民地になったフランス人やイギリス(イングランド)人がローマ領外のドイツ人を野蛮人扱いするのをみると難しいものです。実際にヨーロッパを旅行すると今でも旧ローマ領からそうでないところに行くと何となく風景が野性的になるように感じます。
 ラテン、ケルト(ガリア)、ゲルマン各民族の個性の違いが、この後のヨーロッパ文化の展開をおもしろくしていくので、ここで簡単に2000年前の姿をご紹介しました。
 さて、ローマ帝国の西半分は5世紀に滅びます。滅んだといっても外敵に攻められて一気に滅んだというのではなく、長い平和のうちに貧富の格差が広がり、その結果治安が悪くなり、徐々に各地域の交通が悪くなり、気がつけば中央政府がなくなっていた、という状態であったようです。ローマの治安維持能力が弱体化すると、ローマ領外で暮らしていた未開なゲルマン人がどんどんローマ領内に入ってきて、住民たちを暴力で制圧していき、各地に王国を作っていきます。そういう状況で学校もすたれていき、修道院が文化を伝える場所になっていきます。
 こうしていよいよ西洋音楽の歴史の出発点グレゴリオ聖歌にたどりつきます。まず聖歌を聴いてみましょう
 
(賛歌「パンジェ・リングヮ」*を聴く。「いつまでも聴いていたくなる」との感想)
グレゴリオ聖歌はヨーロッパの混乱が少しだけおさまった9世紀頃にまとまってきたのですが、日本でいうと平安時代の始まりにあたります。その頃日本にはいってきた宗教音楽が声明です。
 
(天台声明より「南無阿弥陀仏」を聴く。)
こうならべて聴きますと、音が違うことがよくわかりますね。ヨーロッパでは手を組んでひざをついて、上体を開いて神の光を受け入れるという祈り方ですが、日本では、手を合わせてうつむいて心の内側を覗き込むような祈りです。これに対応して、音もヨーロッパでは空間に流れ出て空間を満たすような音ですが、日本の音は直線的ですね。聖歌のように外向きの音を出すのが日本人にはなかなか難しいです。これはここの教室のレッスンでも大きな課題です。
 日本の鎌倉、室町時代になりますと、世俗曲もいろいろ栄えてきます。ヨーロッパではポリフォニーと言って、複数のメロディーを同時に歌う技法が開拓されていきます。つぎに聴きます「おまえさんたち口を開けば」というモテトには歌詞が3つありますが(歌詞カードを読みながら)、これを同時に歌うのです。
 
(13世紀後半のモテト「お前さんたち口を開けば−朝夕パリでは−新鮮なイチゴ」を聴く。「閑吟集みたいな歌詞」という感想)
 鎌倉、室町というと日本では能、狂言の始まったころです。ヨーロッパの町の歌を聴きましたから、日本でも町の歌を聴きましょう。京都の遊女を描いた曲です。
 
(狂言小歌「起き上がり小法師」を聴く)
 さて、15世紀後半、ルネサンスと呼ばれる頃になると、現在のヨーロッパ音楽の基本的な技法がほぼ完成します。
 
(対位法、和声、歌詞と音楽のかかわりを説明しながら、ジョスカンの「アヴェ・マリ ア」を聴く)
 この時代はいわゆる大航海時代でもあって、日本にもヨーロッパ人がやってきて、音楽の交流がはじまりました。ヨーロッパ音楽は当時の日本でも人気を呼んだようですが、キリスト教徒への苛酷な弾圧で、一旦表舞台からは姿を消すことになります。

***休憩***

 はやいものでもう江戸時代です。江戸時代というと歌舞伎が有名ですが、これは映像で見ないとおもしろくないので、幕末の曲ですが端唄の名曲「春雨」を聴きましょう。
 
(歌詞の由来を説明して「春雨」を聴く)
 江戸時代の前半は、ヨーロッパではバロック音楽の時代です。バロックの時代の特徴のひとつは、民族の個性があらためて出てきたことです。中世・ルネサンス時代には、これまで聴いていただいたものにも現れているように、まず共通語としてラテン語があり、世俗的な内容の場合にはフランス語が宮廷の標準語のような地位をしめていました。バロックになると、それぞれの国の言葉で音楽が書かれるようになります。
 バロック音楽をリードしたのは、イタリアとフランスです。イタリアはローマのお膝元ですから主にラテン人の国ですが、フランス、特に北フランスはローマ帝国滅亡後、激しい社会的混乱の中でケルト・ゲルマン・ラテン文化の混交の舞台となった土地です。また、バロック時代になって、ゲルマン人のドイツが文化的な実力をつけてきます。イタリア、フランス、ドイツがそれぞれの個性を競い合うようになります。
 では、まずイタリアバロックから聴いていきましょう。まずバロック音楽の特徴は、伴奏つき独唱歌曲というものが登場したことです。それをつなげていくとオペラになります。
 
(歌詞の説明の後、モンテヴェルディのアリア「アリアンナの嘆き」を聴く。通奏低音の説明、バスとメロディーの音程や和声で表現効果をあげていることを指摘。歌手の節回しに依存した日本の端唄の表現方法との違いを指摘)
 また、器楽でも独奏楽器の名人芸というものが現れます。
 
(コレッリのヴァイオリンソナタを聴く。楽譜を配り、装飾を説明)
 次にフランスバロックです。フランスの音楽の特徴は知的で抑制がきいていることで、これは中世以来の貴族スタイルといえます。中世の音楽をリードしたのはフランスで、イタリアはローマ帝国の中心地でしたが、音楽的にはルネサンス後期からの新しい音楽の流れで台頭してきた新興国ともいえます。バロック時代にさかんにとりあげられた「イタリア音楽とフランス音楽の優劣論争」は、ルネサンス以降の近代文化と中世文化との対立とも言えます。
 もうひとつ、フランスの特徴として、イタリアが歌(人間の声)を音楽の基本にしているのに対して、フランスはダンスを重視します。優美な身のこなしというのが、貴族階級のあかしだったからです。
 
(リュリのガヴォットを聴く)
 最後にドイツバロックです。ドイツバロックの後期に現れたバッハやヘンデルは、今からみるとヨーロッパ音楽の最高峰といっていいと思いますが、当時の意識としてはドイツは、イタリア、フランスに比べて後進国、ただし、後進国の利点を生かして両者の良いところを生かした混合様式を作り出したという位置づけです。実際には、ゲルマン人の民族性が西洋音楽にもたらした新しい要素はとても大きいのですが(小さなモチーフから大きな楽曲を構成する原理、ドイツ語のリズムによる拍節感、機能和声など)、ヨーロッパではローマ帝国=文明、ゲルマン人=野蛮という図式が強くて、この時代にはまだ後進国扱いです。これが19世紀後半になると「音楽の本場はドイツ」と言われるぐらい、地位が逆転してきます。   
 では、バッハのコラールを聴きましょう。コラールというのは、ゲルマン人の民衆歌のような要素もありますが、これに伴奏として舞曲的な要素をつけ加えています。
 (バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を聴く。アーノンクールの軽やかな伴奏に対して「普段聴いているのと感じが違う。」との質問あり)
 バロック時代の演奏習慣ということもできれば、第3回のレクチャーでお話できればと思います。バロックの音楽はこの教室でもメインになっていますので、第3回に詳しくお話します。
 江戸時代の後期、葛飾北斎らが活躍する頃、ヨーロッパではフランス大革命がおき、貴族の時代から市民の時代へと変り、音楽のスタイルもバロックからクラシックへと写ります。クラシックの音楽をいろいろ紹介する時間もないので、最後にヨーロッパ音楽史の締めくくりとしてベートーヴェンの第9交響曲第4楽章、いわゆる「喜びのうた」を聴いてみましょう。この曲は、思想的にも音楽技法の上でもヨーロッパの伝統の集大成であり、また未来へのメッセージともなっています。ヨーロッパ精神を代表する曲としてEU憲法案の国歌にも指定されています。
 まず、もとになったシラーの詩「喜びによせて」を読んでください(資料を読む)。シラーがこの詩を発表したのはフランス革命の1890年、ヨーロッパの市民が革命に熱狂していた頃です。この詩に感激したベートーヴェンは、その34年後、フランス革命の混乱からナポレオンが登場しヨーロッパが戦場となり、そのナポレオンも没落して王政復古、保守反動の厳しい嵐がふきあれた時代に、この曲を発表しています。閉塞の時代状況に対して、「自由・平等・博愛」という革命の理念は生き続けているというメッセージです。
 「喜びのうた」というと日本では何となく人類愛を歌っているんだな程度に思われがちですが、詩を読んでみると、そうではなくて地上的な兄弟愛から神々の世界に至ることが主題で、「自由・平等・博愛」の理想も「天におけるがごとく地にも神の国が行われますように」という伝統的なキリスト教の祈りの延長線上にあることがわかりますね。
 
(曲を部分にわけて聞きながら、歌詞と音楽をたどっていく)
 いわゆる「喜びの歌」のメロディーで最初に歌われる「喜びよ、美しい神々の火花よ、楽園の娘よ」という呼びかけがどんどん深められていって、さまざまな障害を乗りこえたすえに、曲の最後で確信に満ちて「神々の火花よ」と繰り返されるとき、伴奏の弦楽器がまさに天から降り注ぐ光のように感じられます。「喜び」が「神々の火花」ということは、私たちの胸のうちに神の国は宿っているということです。「君たちはひれ伏すのか、何百万の人々よ?君は創造主を感じるか、世界よ?」という歌詞を音楽的に描きわけて、ベートーヴェンは「集団で神を崇拝する時代」から「個人が神を感じる時代」になったことを強調しています。キリストの生き方をまねびながら、「自由・平等・博愛」という現代社会の理想にたどりついたヨーロッパ精神の縮図のような曲だと思います。

 今日は2500年にわたるヨーロッパ音楽の歴史を大雑把にたどってみました。不十分なものですが、同時代の日本音楽と聴き比べてみて、ヨーロッパの「音」が感じられましたでしょうか。また、ヨーロッパをまとめているローマの文明とキリスト教の精神、逆に多様性を形作る民族性の違いなど、日本人がヨーロッパ音楽を理解するためのキーをいくつか提示しました。今日は多くのお話を大急ぎでしたものですから、次回からは、時代を区切って、もう少し具体的に肉付けできればと思います。ありがとうございました。

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